漏斗胸の治療について説明する「胸のかたち」研究室

大人の漏斗胸・女性の漏斗胸の手術をたくさん行っています。

「筋層」は保護すべし

筋層下にバーを入れて固定できる?

ナス法の欠点 » バーがずれる可能性」でも述べましたが、バーの安定性を増すためにバーの両端を筋層の下にいれるという方法も使用されているようです。バーの両端に相当する肋骨の表面には、前鋸筋という筋肉が付着しています。この筋肉の下にバーの尖端を入れ込めば筋肉によってバーが固定されるから、バーの回転が生じにくいであろうとする考え方です。

図4:前鋸筋の下にバーを埋め込めば、バーの移動を防ぐことができるという説

この考え方は話としては分かりやすいのですが、「いざ効果は?」というと疑問です。先に述べたように、胸壁が元の位置に戻ろうとする力は2~25キログラムと、とても強い力が加わっています。この力がすべて前鋸筋に伝わるのではないにしても、やはりキログラム単位の少なからぬ力を支えなくてはいけないでしょう。しかも一時的なものではなくて、この力はバーを入れている限り、少なくとも最初の数か月間は、休みなく加わり続けるのです。骨のような硬組織であれば、こうした数キログラムの持続的な力に対しても耐えうるでしょう。しかし筋肉のような軟部組織は、バーのような硬い組織から作用し続ける持続的な力には負けてしまうのです。

軟部組織は、硬組織には勝てない

図5:寝たきりの老人においては、
骨の圧力に皮膚が負けて「とこずれ」が発生する

このことは、褥瘡(じょくそう)を考えるとよくわかります。褥瘡は一般的には「とこずれ」と呼ばれる潰瘍の一つで、寝たきりのお年寄りに発生するものです。寝たきりのお年寄りは同じ体勢をとったまま、身動きができないことがままあります。こうした状態で何時間か経つと自分の体重が体の一部分に集中して加わることになり、その部分の皮膚や筋肉がただれてきます。さらに時間が経つとただれていた筋肉が壊死を生じ、最終的には骨が露出します。

こうした「とこずれ」の発生しやすい部位はだいたい決まっています。特に褥瘡が発生しやすいのは仙骨部・坐骨部・大腿骨の大転子部などです。腹部や頬部、大腿部といった部位には、まず褥瘡は発生しません。この違いがお分かりでしょうか。褥瘡が発生しやすい部分は、みな「骨」がある部分です。横になっている時間が長いと、骨を介して自分の体重が皮膚と筋肉、脂肪組織に加わり、その結果それらの組織の血行が悪くなります、その状態が持続すると皮膚・筋肉・脂肪組織が壊死を生じてしまい、褥瘡ができることになります。本題に戻ると、軟部組織である筋肉は硬組織に「勝てない」のです。ナス手術で用いる金属バーは、骨よりもさらに硬いものです。そのような硬いバーから数キログラムという強い力が加わり続けると、筋肉には先ほど説明した褥瘡と同じ現象が起こり、最終的には断裂することになる、というのがわれわれの意見です。

図6:強い力が加わり続けると筋肉は壊死し、断裂する

前鋸筋の役割と重要性

また、バーを前鋸筋と胸郭のスペースに挿入すると、当然のことながら前鋸筋を支配している運動神経および、側胸部の感覚を支配している感覚神経が損傷されます(図7)。前鋸筋は整容的に重要な役割を担っています。ボクサーやボディビルダーのように体を鍛えている方々では前鋸筋がはっきりと皮膚の上から見えますが、前鋸筋が見えるとずいぶんとたくましい感じがします。また仮にそれほどはっきりと筋肉のかたちが見えなかったとしても、前鋸筋は側胸部の緊張に影響して、なんとなく引き締まった印象を与えています。前鋸筋の美容的な意味における重要性については、インターネット検索すれば多くのサイトで述べられているでしょう。それだけ、この筋肉が重要であるということです。

図7:バーを前鋸筋の下に入れ込むと、神経が断裂する

図8:前鋸筋が存在することで胸部は引き締まった感じがする

また前鋸筋は、胸郭を開大する作用を有しているので、呼吸筋としても重要な役割を果たしています。

図9:前鋸筋は胸郭を開大する作用があり、呼吸筋としても重要である。

以上述べてきたごとく、まず前鋸筋の下にバーの先端を埋め込んでもバーを固定する効果は期待できません。なおかつ、前鋸筋を胸壁の肋骨から引きはがすことにより神経は損傷されます。この結果として前鋸筋が萎縮することになりますが、これは美容的に好ましいことではありません。さらに、術後の痛みが強くなります。このように、固定の効果は対して期待できないのに対し、与える犠牲が大きいため、前鋸筋の下にバーの端を入れ込むという方法は良い方法ではないとわたしたちは考えます。医学の知識がなくても理解できるように、本稿ではこの理由について、なるべくわかりやすいように筋道立てて説明しました。しかしこれほど理詰めの説明をしなくても、ご自身の胸部の脇の部分を触ってみてください。骨と皮膚の間にあるのが前鋸筋ですが、厚みはいかがなものですか?非常に薄いですね。薄い膜で何年間もバーを保定できるか否かは、常識で考えればお解りになることでしょう。

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