漏斗胸の治療について説明する「胸のかたち」研究室

大人の漏斗胸・女性の漏斗胸の手術をたくさん行っています。

ナス法の欠点(2.バーのずれ)

【バーがずれる場合がある】

図1:バーの術後の傾き

ナス手術では金属バーによって胸郭を持ち上げます。このバーは胸郭の形が固まるまで、数年間入れておく必要があります。しかし挿入してから数週間、もしくは数カ月の間で、徐々にバーが傾いていってしまうことがあります。図1はそうした患者さんのレントゲン写真です(海外のウェブより)。このように、横から見るとバーが回転を起こしてしまうことが、まれにあります。

図2:バーによって凹みが挙上される

なぜ、このようなことが起こるのか、説明しましょう。胸郭の凹んだ部分をバーによって持ち上げるのがナス手術の根本的な原理であることは、別のページで説明しました(図2)。胸郭の持ち上げられた部分は、もとの凹んだ位置に戻ろうとします。この力は重力に換算すると、1キログラムから15キログラムくらいで、患者の年齢に応じて異なります。

図3: 胸郭は再び凹んだ形に戻ろうとする

肋軟骨のまだ軟らかい小児では、あまり大きな値をとりません(2~3kg)。しかしすでに胸郭が硬化してしまった成人においては、大きい値をとります(8~15kg)。この、胸壁の「後戻り力」がバーに加わります(図3のF1)。

一方、バーにより胸郭を持ち上げるためには、バー自身をも支える必要があります。バーはその全長にわたり胸壁と接してはいますが、筋肉や胸膜などの軟部組織はバーを支えるだけの力を持っていません。実質的な意味でバーを支持しているのは肋骨です。さらに詳しく言えば、バーと肋骨の接している点(肋骨―肋軟骨移行部)です。この点は1本のバーつき左右で一つずつありますが、これら2点においてバーが支えられています。この点を専門用語でhinge pointと呼びます(図4)。

図4:1本のバーは左右1対の、肋骨上の点によって支えられている

このように、ナス手術のバーは実際には「点」で支えられているので、胸壁の後戻り力が加わると、図1図5のように傾いてしまうことがあるのです。この現象をバーのflippingと呼びます。

図5:胸郭の後戻り力がバーに作用すると回転する

バーは前後方向に傾くだけではなく、左右方向にずれてしまうこともあります(図6)。左右へのずれは、胸郭が非対称な症例に対して(多くは右側が左側よりも大きく凹んでいます)手術を行うと生じやすい傾向があります。

図6:バーの左右へのずれ(下方よりの視野)

バーが左右にずれるメカニズムについて説明します。
図5のごとく、胸郭の左右が非対称な症例に対して手術を行うと、図3の場合と同様に、挙上された胸郭は元の位置に戻ろうとします。つまり腹側から背中側に向かう力を「後戻り力」が発生します(図8におけるF2)。
変形が対称な症例においては、この後戻り力は純粋に背側を向きます。

図7:非対称症例に対する漏斗胸手術

図8:後戻り力

しかし、胸郭が非対称な症例においては、後戻り力はやや斜めに作用します。ゆえに背中側に向かう成分のみではなく、左右方向に向かう成分も含みます(図9)。より平たく言えば、元の位置に戻ろうとする胸壁によって、バーは横方向に押されるのです。
このために、バーは左右に動いてしまうことがあるのです。

図9:バーが後戻りしようとする力には水平方向の成分も含まれるため、左右にずれが生じる。

バーのズレを防ぐには

肋骨に固定する

バーのズレが生じると、良い胸郭の形を保つことはできません。このためにゆえにバーが術後にズレを生じないように十分注意することが大切です。それではバーがずれないようにするためにはどうすれば良いでしょうか?すぐ思い浮かぶのは「ずれないように固定する」という方法です。

固定の方法としては、ワイヤーやナイロン糸を用いてバーを胸壁もしくは肋骨に縛り付ける方法が挙げられます。こうすれば、図1で示したようなバーの回転を防止することができます。また、スタビライザーという器具をバーに装着してT字型の構造にする方法もとられます。こうすることで図4に示したような左右への移動も防ぐことができます。

図10: 器具を利用した保定の強化

十分に力学的な配慮をした手術計画を立てる

バーを糸やワイヤーで胸壁に固定することは、バーがずれてしまうリスクをある程度は減少させます。しかし本当に大切なのは、「ずれてしまうのを怖れて、ガチガチにバーを固定する」ことではなく、「ずれないような位置にうまくバーを装着する」ということが、本当は大事なのです。つまり、「どの位置にバーを入れるのか、何本のバーを挿入するのか」という、手術の設計こそが重要であり、外科医の腕の見せどころなのです。

このことは別のページで説明しますがわかりやすい例えで言うと、火災が起きてから消火に走るより、そもそも火災が生じないよう防火に努める、という感じでしょうか。

すこし専門的になりますが、バーが傾いたりずれたりするリスクを減らすための、「設計」のコツについて簡単にお話します。
手術を行う外科医が、以下の内容を理解しておかないと治療は絶対にうまくゆきません。
ゆえに、これから漏斗胸の治療を始めようと思ってこのページを読んでいる外科医の先生は、必ず理解してください。ただ、患者さんにとっては少し内容が専門的で難しいので、興味のある方のみ、頭の体操と思ってお読みください。

どの位置で、肋骨と接するようにバーを配置するか」によってバーの安定性は変化します。まず、図13をご覧ください。バーを肋骨に装着する、二つの入れ方が描かれています。
最初の入れ方では、バーと肋骨との接点が胸骨からわりあいに近い位置にあるのに対し、二番目の入れ方では接点が遠い場所に置かれています。このいずれが、安定性が高いのか、考えてみましょう。

図13::二つの入れ方のいずれが安定なのか

胸壁はバーによって強制的に挙上されていますから、元の陥没した位置に復旧しようとして、後戻り力をバーに対して及ぼします。これらの力はバーに対して平行に作用する成分と、垂直に作用する成分に分解されます。それぞれをFyおよびFxとします。バーの回転変位を論じる際に問題となるのは、このうちバーに対して垂直な成分(Fx)です。図13の「入れ方1」と「入れ方2」の場合、バーを回転させるモーメントはそれぞれ、Fx×LAおよびFx×LBとなります。

図14:バーを傾かせようとするモーメント

点Bは点Aよりも外側に置かれているので、LBの値は LAの値に比して大きくなります。ゆえにFx×LBの値はFx×LAの値よりも大きくなります。すなわち、入れ方2の方が入れ方1に比べて回転のモーメントが大きくなります。つまり、バーが傾いてゆくリスクが高いのです。ゆえに、バーのズレを防ぐという観点から見ると、入れ方2の方が入れ方1よりも劣っていることになります。
つまり、支点(バーと肋骨が接する点)をどこにとるかが、結果の安定性を左右するカギになるのです。

図15:バーの「沈み込み」

このことを、「バーの回転」とは別のタイプの合併症を紹介しつつ、再び説明します。図15は「沈み込み」と筆者が名付けている失敗の例です。

他の病院で手術をお受けになった後、「手術をしてもらったのは良いのですが、前とあまり状態が変わりません。どうしてですか?」という疑問とともに、筆者のもとを訪れる患者さんが、時々おられます。そのような患者さんをCTで調べてみますと、図15のようになっています。胸壁の陥没が治っていないのは、一目瞭然です。

図16:推測される、初回手術

しかし、おそらく初回の手術を行うことにより一応は、図16で示すように凹みは(一時的とはいえ)治っていたのだと思います。そのあとに、バーがだんだんと後方(背中の方)にずれて行ってしまったのでしょう。

なぜ、このような現象が生じたのでしょうか?

再三、強調しているように、ナス法の本質は力による矯正治療です。ナス法においては、図17に示すように、肋骨の縁を支点として胸の陥没した部分を持ち上げます。つまりは「てこ」の原理を応用しています。

図17:肋骨の縁を支点として「てこ」で陥没部分を持ち上げる

図15のような失敗が起こってしまうのは、この「てこ」の支点の位置を取り違えてしまったためです。支点から作用点、すなわち胸郭の陥没部分までの距離が短いほど、「てこ」の効率が良いことはご理解いただけると思います(図18)。

図18:始点から陥没部までの距離が短いほど、安定な挙上効果が得られる

以上は支点の左右的な位置に関しての議論ですが、上下的な位置も重要です。肋骨と肋軟骨は図19に示す如く、V字型をとっています。

図19:肋骨―肋軟骨の構造はV字型をとっている

この「V字型」の中でどの位置に支点を持ってくるかがカギとなります。図19でお示しした「肋骨―肋軟骨移行部」(V字型の「谷」)に支点を持ってくれば、矯正バーはもっとも高い安定性を得ます(図20左)。「谷」から少し上に行けば、バーの安定性はやや下がります(図20中)。そして、V字型の一端(肋軟骨―胸骨関節)を超えてしまうと、もはやバーは固定性を喪失します(図20右)。

図20:支点の上下的な位置によりバーの安定性は大きく異なる

図21:ナス手術の仕組みを理解するための小実験

この原理は、細長いものを指で支えてみると、よく理解できるでしょう。割り箸を図21のように支えてみてください。

図22:把持に支点は必須である

そして、どの点によって割り箸が支えられているか、観察してみてください。

第一関節より先の指腹上の点(図22の点A)と、指の根元にちかい点(図22の点B)によって割り箸は支えられており、これらの2点なしには、割り箸を支えるのは不可能です。図20の右図の状態ではバーを支えることができないのは、こうすればお解りでしょう。

図15のような失敗が生じるのは、図18における右図の位置に支点をおくためです。

バーを支えるべき点がないので、バーは図23に示すように、ずりずりと背側に向けて落ち込んでいってしまいます。

図23:支点の位置を誤ると、バーは背側に落ち込んでいってしまう

このように漏斗胸の手術においては、矯正バーをどこに置くのか、「支点」の位置の決定が非常に重要です。

図24:バーの左右へのズレを予防するテクニック

バーがずれるのを防ぐ、「設計」の例をもう一つ紹介いたします。たとえば、バーの左右方向へのずれを防止するため、バーの形状を工夫する「ステップベンディング」というテクニックがあります(図24)。肋骨に接する部分においてバーに段差を作り、肋骨または肋軟骨に引っ掛かり易くすれば、バーが力を受けても移動しにくく、図4のような左右のずれが起こりにくくなります。

以上述べたように、バーのかたちや入れる場所を工夫すれば、固定に頼らずともバーのズレを防ぐことができます。ここに紹介した二つのテクニックは、そのためのごくごく基本的なもので、実際には検討すべき因子はまだまだたくさんあります。

胸郭の形と硬さは、千差万別です。そうした個性の違いを認識しながら、どのような手術を行うかを決定する能力が要求される点で、漏斗胸の治療はかなりの頭脳労働なのです。
そして、各々の患者さんの胸郭に対して、最もふさわしい手術プランを工夫することこそが、漏斗胸の専門医の腕なのです。ひとりひとりの患者さんの状況は異なりますので、画一的な方法を用いてはいけません。

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