漏斗胸の治療について説明する「胸のかたち」研究室

大人の漏斗胸・女性の漏斗胸の手術をたくさん行っています。

ナス法の欠点(3.後戻り)

【感想がまちまちなのはなぜか】

漏斗胸の手術をお受けになった方がご自身の体験について、よくネットに投稿されています。人により感想はさまざまで。「かたちも良くなったし、痛みもたいしたことはなかった」という人から「かたちも思ったほど良くはならなかったし、術後しばらくは痛くてつらかった」という人まで、意見は千差万別です。この点、「同じものごとを体験しても人によって感じ方が違うのだから、手術に対する感じ方も異なって当然」と説明されることが多いように思えます。しかし事はそれほど単純ではありません。本当の理由は、「ナス法をそのまま適応してよい患者さんと、さらに一歩工夫を加えなくてはいけない患者さんがいる」ということなのです。ここでは、このことについて説明します。

【後戻りを生じることがある】

人間の身体は、曲げたり延ばしたりする力を加え続けると、次第に形を変えてゆく性質を持っています。こうした性質を応用する例としては、首輪を長いこと装着して首を長くするミャンマーの山岳民族や、唇に板を装着して引き延ばすムルシ族の習俗が良く知られています。一種の矯正治療と言ってもよいでしょう。

図1:人間は力を加えることにより
身体のかたちを変えようとしてきた

図1はそれらの民俗的な矯正治療の例です。これらの写真を見て、「なんとおかしなことをする」と思われる方も多いでしょう。しかしナス法の治療は、原理的な観点から見ると、これらの治療と比べてなんらかわりはないのです。なぜならナス手術もこれらと同じく、一種の矯正治療だからです(漏斗胸手術の歴史)。漏斗胸の患者さんの胸郭は、本来なら凹んだ状態が自然な状態なのです。ナス法においては、その「自然」な形を変えるためにバーを装着して、常に胸郭を後ろから前に押し上げる力が作用するようにするわけです。本来の「あるべき姿」を変えようとするわけですから、本来ならば自然の摂理に逆らう人工的な試みと言えます。こうした意味で、すくなくともナス法の原法と、先に示した世界各地の奇習とは全く変わりありません。むしろ、一度きりの手術ですべてを変えようとするナス法の方が、より無理がある治療法かも知れません。

このように考えると、ナス法は必ずしも万能の手術法ではないという筆者の意見が何となくわかっていただけるでしょう。バーを装着することによって胸郭の凹みがいったんは治ったとしても、バーを抜けば再び凹んでしまう現象が生じます。もちろんこうした後戻りを避けるためにバーは最低で2年間も程度は留置します。しかしどうしても、ある程度の後戻りは避けることはできません。
もちろん、全く元の状態まで戻ってしまうわけではありません。たとえば手術前の陥没が30ミリであった場合、数年間経ってバーを抜去すれば、また30ミリ陥没してしまうわけではありません。再びもとの程度まで陥没してしまっては、手術を行った意味がなくなってしまいます。ただし、一定の割合は、後戻りしてしまいます。
ナス法を行っても後戻りが生じる場合があることは、あまりはっきりと語られることはありません。しかし漏斗胸の手術をお受けになるにあたり、冷静に見つめるべき事実であることは確かです。ナス法は万能の手術法であり、それさえ受ければすべてが解決するような論調の説明をしているホームページも中にはありますが、その認識は誤っています。ただし理に適った対処を行えば、後戻りは防ぐことができます

【成人では後戻りしやすい】

図2:他施設で手術を受けた後、
陥没が再発した例

ここで問題になるのは再陥没を生じる程度です。もともと30ミリであった陥没が、5ミリほど後戻りするのはまあ仕方がないとしても、25ミリ凹んでしまっては手術の効果は大きく損なわれるでしょう。この後戻りの程度は、小児においてはあまり問題になることは少ないのに対し、成人においては大きな問題になります。すなわち、成人の患者においては、ナス手術によって永続的な効果を得ることは、小児よりも一般的に言って難しいのです。

なぜ成人で後戻りが生じやすいのかは、盆栽などの園芸における木の枝ぶりの矯正をイメージするとわかりやすいでしょう。まだ木が若いうちに針金などで矯正を始めれば、あまり苦労することなく枝は意図するかたちになってくれます。また矯正をやめても、簡単には元通りの形には戻りません。しかし樹がある程度大きくなってしまってから矯正を始めたらどうでしょうか。多少長い期間にわたって固定を行ったとしても、矯正を止めたら元のかたちに戻りやすいことは想像がつくと思います。これと同じ理由で、成人の患者さんにおいてはたとえナス手術を行って胸のかたちを治したとしても、二次手術でバーを抜去すると、せっかく治したはずの凹みがまた再発してしまう、という現象が残念ながら起こりうるのです。図2に、他の施設でナス手術を行いましたが、バーを抜去して1年内外のうちに後戻りを生じた患者さんの写真を示します。ちなみに、先に述べた首長族の習慣でも、首輪を外して長い時間が経てば、首の長さは短くなってしまうようです。ゆえに、ナス法を万能の手術法としてとらえ、あらゆる患者さんに対してこの方法を用いる考え方は誤っています。外科医のよくない癖で、とにかく「何例の手術をやった」ということを誇りたがるものです。たしかに手術の数をこなすことも大切です。しかし、手術後の成績に責任をもつことの方がずっと大切です。

【後戻りを防ぐためには】

このように書くと、この記事を読まれている成人の方は「それでは成人の漏斗胸は治すことができないのか」と思われるかもしれません。しかし悲観する必要はありません。すべての成人の患者さんで後戻りが生じるわけではありません。肋軟骨がそれほど硬化していない人であれば、標準的なナス法を行っても後戻りがあまり生じず十分な矯正効果を得ることができます。ただし肋軟骨の硬化がある程度進んでしまった人に対しては、通常のナス法を行ってはいけないのです。少し工夫を加えなくてはいけません。それではどのような工夫が必要なのでしょうか?

根本に戻って考えましょう。成人においては肋軟骨が硬くなってしまっていることが、バーを抜去したときに後戻りを生じやすい理由でした(図3左)。だとすれば、肋軟骨をもし軟らかくすることができれば後戻りは防げるでしょう。しかし、すでに硬くなってしまったものを元に戻すことは不可能です。そこで図3右に示すように、肋軟骨にところどころ割を入れて曲がりやすくします。このように細工をしておけば、バーを留置している数年間の間に、胸郭は矯正された形に固まってくれます。ゆえにバーを抜去しても、再び凹むことはありません。

図3:肋軟骨に操作を加えることにより、後戻りを起こりにくくする

図4:肋軟骨に割を入れることにより、疼痛も軽減する

【痛みも軽減する】
また、この「割入れ操作」を行うことで術後の痛みも軽減します。成人の漏斗胸症例では手術の後に痛みを感じる方がときどきおいでになります。これは、挙上された胸郭が元のかたちに戻ろうとする力によるものです。図4左をご覧になってください。ナス手術においてはバーを装着することによって、凹んだ胸郭を持ち上げます。この力を仮にF1とします。手術時にF1を測定すると、だいたい3~10kgくらいです。凹んでいる部分をこの力で持ち上げるわけですが、持ち上げられた胸郭は、同じ力で元の位置に戻ろうとします。この、元に戻ろうとする力が、矯正のために装着したバーを介して胸郭の後ろの部分に伝わります。このために痛みを感じる場合があるのです。一方、肋軟骨に割を入れておけば、なにも操作を加えない場合に比べると肋軟骨は軟らかく、しなりやすくなります。ゆえに凹んだ部分を持ち上げるのに必要な力をF2とすると、F2はF1よりも小さくなります。このため、胸郭が凹んだ部分から受ける抗力も小さくなります。このために術後の痛みも少なくなります。

【具体的にはどうするか】

以上説明したように、一部の成人(=胸郭の骨がある程度固まってしまった患者さん)、に対して手術を行う場合には、バーを抜去したあとに起こりうる後戻りを防ぐために肋軟骨に操作を加えて、曲がりやすくしておく必要があります。この操作は内視鏡を使えば、ある程度は胸腔内から行うこともできます。胸郭の硬化が極端に進行しているわけではない症例においては、胸腔内からの内視鏡操作で十分に胸郭を軟らかくすることができます。しかし、胸郭の硬化が強い症例においては、しっかりと肋軟骨に切開を入れて軟らかくする必要があります。こうした場合には、図6に示すように、みぞおちの近くに小さな切開を入れて内視鏡で創の内部を確認しながら、特殊な電気メス(図7)を用いて軟骨に切り込みを入れます。

図6:肋軟骨に切開を入れて柔軟にする

図7:肋軟骨の切開に用いる特殊な手術器具

【議論】

このように、肋軟骨に操作を加えることが必要だと筆者が学会などで発表しますと、批判を受けることがあります。批判の内容は決まって「そんな操作を行わなくてもきちんと胸郭を持ち上げることはできる」ということです。この点について明らかにしておきます。
たしかに、どのような患者さんに対しても、ナス手術を行うことそのものは可能です。ただし、数年間は良い形を保てていても、バーを抜去したら再び凹んでしまうのでは手術した意味がないではありませんか。また、何ら工夫をすることなくナス手術を原法通りそのまま行うと(肋軟骨が凹んだ形に戻ろうとする力が強いので)、手術後長期にわたって痛みを感じることになります。こうした不具合を避けるためには、単純にナス法を行うだけではだめで、追加の工夫が必須であるということです。肋軟骨に操作を加えるためには図に示したように、状況によっては切開を加える必要があります。しかしこうした切開は可能な限り小さくしますし、形成外科的なテクニックを用いて丁寧に縫合すれば、目立つ傷跡が残ることはほとんどありません。

【重要なのは診断と手術戦略】

以上述べてきましたように、ナス法はたしかに優れた方法ですが、すべての患者に対しての万能手術ではないのです。胸郭の形は患者さんに応じて大きく異なります。個々の患者さんの胸郭の特性を理解して、その特性に最も合った手術戦略を採ることが大切です。やみくもに数だけをこなすのではなく、ひとつひとつの症例について丁寧に検討した上で最適の手術を行うことが大切である(オーダーメイドの漏斗胸治療)と、筆者はつねづね主張しています。それはこのような理由によるのです。

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