漏斗胸の治療について説明する「胸のかたち」研究室

大人の漏斗胸・女性の漏斗胸の手術をたくさん行っています。

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漏斗胸手術の歴史(ナス法以前)

【黎明期(1960年代より1975年ごろまで)】

漏斗胸に対する治療は、1960年代以前には日本ではほとんど行われていませんでした。その大きな原因は、麻酔の技術が発達していなかったことにあります。1950年代以前の麻酔は、麻酔薬を手術する部分に注射する局所麻酔と、エーテルをガーゼに浸して患者に吸入させる麻酔との併用であったため、胸部の骨を操作する、漏斗胸のような手術はほぼ不可能であったのです。しかし麻酔薬と管理法が進歩するにつれて、手術治療も1960年くらいから、ようやく可能になってきました。

黎明期―胸骨反転法

図1:胸骨反転法

初期に行われていた方法は、胸骨反転法という方法と、肋軟骨組み換え法です。胸骨反転法は、胸郭の前部の骨を一度取り外してひっくり返す方法です(図1)。つまり漏斗胸では胸が凹んでいるのだから、凹んだ部分を切り離してそれをひっくり返してしまえば、逆に出っ張るではないかという発想です。この発想は単純明快ではありますが、大きな問題があります。いったん胸壁から胸壁の一部を切り離してしまうと、その部分の血行は失われます。例えそれをまた胸部に戻しても、いったん失われた血行は容易には再開しません。ゆえに壊死(えし)を起こして取り出さなくてはいけない失敗が起こりうるのです。取り出すだけならばまだしも、感染を併発すると命に関わります。このため胸骨反転法は次第に行われなくなり、2015年現在においてはほぼ行われていません。ちなみに現在の移植技術をもってすれば、壊死を起こすことなく胸骨反転法をおこなうことそのものは可能です。ただし胸骨反転法を行うためにはかなり長い傷を胸に作らなくてはいけませんので、やはり今後、この方法が復活することはないでしょう。

黎明期―肋軟骨組み換え法(ラビッチ法)

漏斗胸治療の黎明期に胸骨反転法と並んで行われていた方法は、肋軟骨組み換え法です。この方法の原法は、1949年にピッツバーグ大学のMark M. Ravitchにより報告された漏斗胸の手術法ですので、ラビッチ法とも呼ばれます(肋軟骨の組み替え方に少し工夫を加えた上で、新たに発明した手術方法ということで独自の命名をしている施設も中にはありますが、基本的な原理はラビッチ法です)。ラビッチ法においては胸部の正中に大きな切開を加えて肋骨と肋軟骨を完全に露出します(図2)。この上で肋軟骨と胸骨をいったん分解し、正しい形に組み替えて固定を行います。肋軟骨については変形した部分を楔形(くさびがた)に切り取り、弯曲している状態を真直ぐにします(図3)。胸骨についても同じ原理で組み換えを行います(図2)。

図2:ラビッチ法の模様

図3:肋軟骨の組み換え

図4:胸骨の組み換え

【1975年ごろから1995年ごろまで】

図5:ラビッチ法によるきずあと

1975年ごろまではラビッチ法と胸骨反転法が、漏斗胸に対する二大術式として行われていましたが、胸骨反転法は次第に廃れてゆきました。一方、ラビッチ法には次第に改良が加えられ、比較的安定した結果が出せるようになってきました。とはいえ現在(2015年)に比較すると、漏斗胸の手術はまだまだ少ないものでした。この原因は、大きな傷をつくる割には胸のかたちが良くならないことが多かったためです。ラビッチ法においては、胸に大きな傷ができることになります(図5:引用元)。これは肋軟骨と胸骨をすべて露出した上で操作が加えられるからです。

図6:ラビッチ法では術後に胸壁にすき間ができる

仮にこのような長いきずあとを作ったとしても、胸の輪郭が美しく治せるのならば、患者さんとしても満足するでしょう。ところが実際には、あまりきれいな輪郭にならないことも多いのです。この理由は、いったん切り離した肋軟骨の継ぎ目にどうしても隙間ができてしまいます。さらに胸郭の内部には心臓がありますので、骨にすき間があると皮膚の上から拍動が明らかにわかります。これは非常に目立ちます。

また、ラビッチ法では「胸板」を厚くすることが難しく、扁平で弱弱しい感じの胸郭になってしまう場合が多いのです。これについては別のページで述べます。1960年代に比べると術式は改良されたとはいうものの、これらの整容的な問題点がまだまだ解決されなかったため、1990年以前はまだまだ漏斗胸の手術はまれなものでした。体に対する負担が大きいわりには、患者さんの期待に足る結果が得られなかったためです。この状況が変えたのがナス法の登場でした。

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