漏斗胸の治療について説明する「胸のかたち」研究室

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漏斗胸手術の歴史(ナス法以後)

【1996年ごろから2004年ごろ】ナス法導入期

1996年ごろになると本邦でも次第にナス法が行われるようになってきました。ナス法に関してはいろいろなサイトで紹介されています。しかしその多くは「これひとつで漏斗胸が簡単に治せる方法」という、なにか魔法の最新兵器のような紹介のされ方をしています。それは必ずしも正しくはないのですが、そのことに関しては他のページで説明します(かしこく治療を受ける必修知識 » ナス法にも短所はある)。
確かにナス法は優れた方法には違いがありませんし、ナス法に内在する問題点を理解するためには、まずナス法とはいったい何なのかを理解しなくてはいけません。そこで、ここではナス法の原理について説明します。

ナス法の原理

手術の原理

図1:漏斗胸の変形の中心は「軟骨」である

まずは、漏斗胸の変形の主体は「軟骨(なんこつ)」であることを理解しましょう。図1は小児(左)と成人(右)の胸郭の3次元CTです。胸郭の中央部には胸骨(きょうこつ)という骨があります。そして、胸郭の外側には肋骨(ろっこつ)があります。胸骨と肋骨との間には軟骨が存在します。これが肋軟骨です。肋軟骨は小児では非常に軟らかいのですが、成人では部分的に骨化が起こった結果、やや硬くなっています。漏斗胸においては多くの場合、軟骨が凹みの主体になっています。

軟骨がどのようなものかをイメージするためには、フライドチキンや骨付きのから揚げなどを食べるときに注意して観察されると良いでしょう。骨の端の部分や手羽に、食べるとコリコリする感じの組織がありますね。あの組織が軟骨です。軟骨は軟らかいので力を加えると曲がります。

肋軟骨も軟骨の一種ですから、力を加えると曲がります。つまり胸郭の凹んだ部分に対し、下から(背中の側から)力を加えれば、凹んだ部分を押上げることができます。そこで凹みを持ち上げておいてから、その状態を保つために金属のバーを挿入するというのが、ナス法の基本的な原理です。つまり、「凹んだ部分に力を加えて持ち上げれば、持ち上げることができる」のであり、この点に気づいた点がナス法の斬新的な点なのです。前に紹介したラビッチ法では、この発想はなく、凹んだ部分を上に持ち上げるために、周辺から完全に離断がなされていました。

図2:ナス法の原理

図3:ナス法の術後CT

ナス法の原理は図2のような2次元的な図を用いて説明される場合が多いのですが、3次元的な理解も必要です。図3は、ナス法術後の3次元CTです。金属バーが胸骨と肋軟骨の下に留置されます。

図4:肋骨・肋軟骨とバーの位置関係

図4は、バーがどのように留置されるのか、肋骨および胸骨との位置関係を示しています。バーは肋骨の縁で支えられます。

さて、ここまでお読みになっていただければ、肋軟骨が曲がりうるからこそナス法が成立することがよくお分かりになるでしょう。逆に言うと、肋軟骨が硬くなっている患者、すなわち成人の患者さんに対しては、多くの場合、ナス法をそのまま用いてはいけません。それならばどうするのか、ということを考えるのが、漏斗胸を専門とする外科医の腕なのです。これについては他のページに記載します( かしこく治療を受ける必修知識 » ナス法の欠点(3.後戻り))。

導入期における問題―安全性について

ともあれ、1995年ごろから、本邦にもナス法が徐々に浸透してゆきました。従来のラビッチ法に比較するとはるかに小さな切開で行える点で、ナス法は非常に魅力的であったためです。このため今まで全く漏斗胸の治療を行っていなかった病院も少しずつ治療を行うようになりました。
ただこの時期においては、ナス法はリスクのある方法と見られていました。ナス法においては金属バーを胸壁の後ろ側に留置します。このために、バーを胸壁と心臓との間に誘導しなくてはいけません。この操作が、当時はかなり外科医に緊張を要求するものだったのです。

図5:金属バーを誘導する経路

胸壁の後ろには心臓と肺が存在しています。正常の方では胸壁と、心臓および肺との間にはある程度スペースがあります。ところが漏斗胸の患者さんでは胸壁が背中側に落ち込んでいます。このために心臓と胸壁がほとんど密着しており、ほとんどスペースがありません。図5のように、この狭いスペースにバーを誘導してゆくわけなので、心臓や肺を傷つけないようにかなりの神経を使う必要がありました。筆者も、何百例かの症例をこなした今でこそ、ナス法の手術を余裕をもってできるようになりました。しかしやはり2000年前後には、かなり緊張しつつ手術を行っておりました。

図6:内視鏡で見た、胸壁と心臓との位置関係

実際の写真を見ると、この時期のナス手術のリスクの意味が良く解ると思います。図6は右側の胸腔から内視鏡を入れて心臓と胸壁との位置関係を観察したものです。胸壁が垂れこめて心臓に覆いかぶさっています。

図7:胸壁と心臓との間で剥離を進めるリスク

つまり、胸壁の後ろ側にバーを誘導しようとしても、胸壁が垂れこめて向こう側に何があるのかわかりません。このような状態でむやみにバーを誘導してゆくと、心臓や肺を損傷する可能性があります。向こう側にどのような危険物があるのかわからない障害コースを進んでゆくのと同じだからです(図7)。
このように2000年前後においては、ナス法の手技が日本に広まっては来ていたのですが、手術の技法がまだ発達しておらずリスクを伴うものでした。また、実際に心臓を損傷して患者さんに障害が残ってしまった例や、障害は運よく生じなかったとはいえども、危ういところまでいってしまったという報告が散見されるようになりました。

こうした事故の報告はそれほど多くはありませんが、外科医にとってはショッキングなものでした。漏斗胸をこれから始めようという外科医は2000年前後にはいったん増えていたのですが、こうした事故の報告に衝撃を受けた結果、漏斗胸の治療に取り組もうとする外科医がふたたび2004年くらいまでには減ってしまったのです。医事紛争もこのころ多かったことも相まって、漏斗胸の治療から外科医が撤退してしまうケースが相次ぎました。2015年前後においても、漏斗胸を扱う外科医はそれほど多くはありません。筆者が把握する限り、2015年現在の段階において、100例以上の漏斗胸手術の執刀経験のある外科医はおそらく全国で10人前後だと思われます。この少なさの原因は、導入期においてリスクの高い手術であるとの認識が浸透してしまったためであると筆者は考えています。新しく漏斗胸の治療に参入してくる施設が少なかったゆえに、一部の施設に症例が非常に増加しました。筆者の当時働いていた施設にも、非常に数多くの患者さんにおいでになっていただきました。筆者にとっては症例を数多くする経験という点で、この集中はありがたいものではありました。

【2005年より2010年ごろ】安全確立期

このように、1995年から2004年くらいまでは、ナス法にとって紆余曲折のある時期でした。すなわち良い方法ということで流行したかと思うと、リスクを怖れて撤退する施設が相次ぎ、限りある施設に患者さんが集中しました。
この時期に限られた施設に症例が集中したことは、長い目から見ると、本邦の漏斗胸治療の発展のためには良いことであったかもしれません。おのおのの施設が自身で方法を開発し、情報を交換し、手技の確実性を高めて行くことができたからです。この時期における功績者が、現在の漏斗胸手術手技研究会の中心的存在になっています。しかし2015年の現在においては、一部の施設に患者さんが集中するよりも、できるだけ多くの施設が一定の水準に達することを筆者は願っています(これについては別途述べます)。
こうした交流活動・学会活動においてこの時期に主として論じられたのは、「いかに安全に手術を行うか」ということでした。漏斗胸は癌などの致死的な疾患ではありません。ゆえに万が一、手術で命に関わることがあってしまっては大変に困ります。このため、万が一にも事故を起こさないようにするにはどのように手術を行えば良いのか、に焦点を当てて討論が繰り返されました。複数の施設の努力の結果、2010年くらいには安全に漏斗胸を行うためのノウハウがほぼ完成しました。
そのノウハウはいくつもの「コツ」の集積であり、ひとくちで表すことはできません。ゆえに簡単に説明することはできないのですが、あえて単純化すると、手術の「場」を展開するための内視鏡の使い方や、新たな手術器具が開発されたということです。

図8:内視鏡を挿入する角度と視野の関係

例えば内視鏡の使い方です。図8の左の図と右の図を比較してみると、内視鏡を入れる角度によって視野はずいぶんと異なってくることがお解りでしょう。また、胸壁を持ち上げる器械が発達し、胸壁と心臓との間のスペースを広げることができるようになりました(こうした工夫についての詳細をお知りになりたい方は、拙著「漏斗胸の治療(克誠堂出版)」をご購入ください)。胸壁が心臓に密着してこうした工夫をいろいろと行うことによって、胸郭のほぼ全部の領域を見渡しながら手術を行うことができるようになったのです。視野が良くなれば、剥離してゆく先に何があるのかがわかりますので、安全に操作を進めることができます(図9)。このように工夫を積み重ねることによって、いままではリスクを伴い、度胸のある外科医のみによって行われていた漏斗胸の手術も、低リスクで安全に行うことができるようになったのです。

図9:工夫を行うことにより視野が改善し、安全な操作が可能になった

【2013年ごろより現在】質的向上期

2012年ごろまでにナス手術を安全に行うノウハウは、ほぼ確立しました。経験を積んだ医師ならば、心肺を損傷するなどといった重大な合併症を起こすことはまずなくなっています。「これで漏斗胸の問題は解決。あとはひたすら手術の数を増やそう」と考えている施設も中にはあるようです。
しかし形成外科である筆者の眼からみれば、まだまだナス手術は完成された方法とは言えず、解決しなければいけない点がいくつもあります。例えばひと通り「凹み」は治ったとしても、それで満足して良いものではありません。土台である「あばら」のかたちが治っても、その上にある筋肉や皮下組織のかたちが改善されなければ、胸のかたちは美しくはなりません。女性の場合には乳房がありますから、さらに軟部組織のかたちが重要です。というよりむしろ、女性における漏斗胸の治療においては、乳房のかたちの方が「あばら」よりも重要であるといっても過言ではないでしょう。
このように、手術の安全性が完全に確立されてはいなかった2010年以前には、とにかく安全に手術を行うことに注意が向けられていました。また、「あばらの凹みさえ治れば、漏斗胸の治療は完了」と考えられていたように思います。しかし手術を安全に行う方法がほぼ確立した現在にあっては、「単に治す」から「美しく治す」という方向に、漏斗胸治療の流れが変わりつつあります。

この点、漏斗胸治療の昨今のあり方は、時代の変化に伴う衣食住の発達とよく似ています。社会が未成熟なころ、例えば終戦直後は、インフラも破壊された上に食糧も不足していました。こうした時代には、ただ食べて生活してゆくことができれば、それでよかったでしょう。しかし時代が進んで来ますと、単に食べて生活してゆくだけでは満足ができなくなってきます(図10)。

図10:時代とともに生活の水準は向上する

これと同じことで、単に胸の凹みが治ればそれでよしとされていた時代から、より美しい胸のかたちを求める時代にと、時代は変化しつつあります。つまり漏斗胸の治療においては「いかに軟部組織(筋肉および脂肪、乳房)が上手に扱えるか」ということが、これからカギになってくるでしょう(図11)。こうした分野は形成外科の十八番ですので、漏斗胸の治療における形成外科の重要性はますます重要になってくるはずです。

図11:「ただ凹みが治ればよい」時代から「美しく治す時代」へ変遷している

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