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香川大学医学部開講50周年記念特定基金

この場所で輝く ~現場の声とメッセージ~
2025.6.4
香川大学医学部
経営企画課 課長補佐 久保 公四郎さん

1.簡単な生い立ちなどを教えてください。(どこで生まれた、どんな学生だった、など)
高松市の中心街に生まれ育ちました。高度成長期で活気のあるトキワ街や南新町商店街のアーケードの上を遊び場に、鬼ごっこなどして遊んでおりました。ただ、中心街の人口空洞化に伴って、通っていた幼稚園、小学校、中学校ともに廃校になってしまい、とても悲しく廃校跡地を眺めるときがあります。

 
2.なぜこの仕事を選びましたか?(偶然ですか?なりたかったですか?)
なりたかったからです。経緯としては、自分の進路を決めかねていた昭和57年の夏、医師になった姉が義理の兄さんと総合病院を建てたい夢があるのを知って、病院の業務や経営等を習得して事務長を志していたところ、来秋(昭和58年10月)に大学病院を開院する香川医科大学の職員募集を知り、ここなら総合病院のいろいろな業務を習得できると、自ら履歴書を持ち込み無事に採用されました。
なお、姉夫婦の夢は、家族の不幸等により無くなりましたが、私自身は、本学で多くの諸先輩方・同僚に助けられながら成長することでき、あっという間に42年が過ぎました。振り返って良き人生であっと思っておりますし、今でも諸先輩方等と楽しく交流させていただいております。
 
3.これぞという仕事の成功談はありますか?
 仕事の成功談とまでは言い切れませんが良き思い出として、平成21年に香川大学から管理職として他機関に出て以降7機関を異動する中で、多くの教職員や関係者の方々と人脈を作ることが出来ました。その人脈により、新型コロナウイルス感染症で全国がパニック状態に陥った際、医療現場における感染対策用のトリアージエリアの必要性について、文部科学省文教施設部の知人に相談するとともに、国立大学病院長会議事務局を通じて議員等にも働きかけていただいた結果、令和2年度補正予算で「附属病院多用途型トリアージスペース整備事業」が予算化され、その当時所属していた山形大学や香川大学をはじめとする国立大学病院30数か所に設置され、感染対策に活用されたことが思い出の一つとして残っております。
 
4.趣味や仕事のとき以外の過ごし方など教えてください
若いころから家でボーと居ることが苦手で、趣味の釣り以外では、大学職員および地区の方々と野球・ソフトボールやバドミントンなどで時間を費やしております。特に、野球とバドミントンは、今でも四国地区国立大学職員野球大会や6大学職員バドミントン交流大会に参加させていただいており、また、単身赴任先の徳島、山形、山口、島根、京都などでも交流の輪を広げておりました。 それと写真にも少し興味があって、コンパクトカメラを持ってうろうろと歩き回り、主に鳥や昆虫などの生き物を撮影しております。

4. 香川大学医学部の良いところを教えてください
香川医科大学時代からの雰囲気もあって、教職員同士の垣根が低く、また、本部と部局等の縦割りの意識も薄く、何か事があれば団結して小回りを利かせて進めていけるところです。これは帝大や中堅クラスの他大学には無い良いところと感じております。
 
5.これからの香川大学に求めることを教えてください
国立大学の法人化に伴う運営費交付金の縮減や物価の高騰、そして急激な人口減少等の諸課題から、大学運営は岐路に立たされておりますが、特色ある研究・教育をより一層発展させ、「この分野においては、香川大学は不可欠な存在。」と一般国民から認識されるような大学になっていければと思っております。また、開院準備時代から携わってきた附属病院も同様に、香川県唯一の特定機能病院、医療人養成や医師派遣機能を有する機関としての役割を果たし、県民等から「地域医療の最後の砦」として期待され、これからも発展し続けられることを願っております。

<インタビューを終えて>
まじめで誠実なお人柄がにじみ出る内容に深く感銘を受けました。香川医科大学の創設期から現在に至るまで、42年にわたって地道に誠実に仕事に向き合い、多くの人々との信頼関係を築かれてきた姿勢に敬意を抱きます。地域医療や大学の発展に対する強い思いにも心を打たれました。