研究室の理念

新しい文明を見据えた精神看護学の探求

精神看護のあり方は時代とともに変化しており、現代的ニーズに即したケア方法の開発が求められます。現代は過去の時間の上に蓄積され、未来を規定していくため、さらなる精神看護学の発展に向けて歴史的業績に学ぶことが大切です。

目覚ましい科学の進歩により、これまで人類が抱いてきた様々な夢が実現しました。現代では世界中が瞬時につながり、宇宙までもが近い存在です。今世紀はじめに誕生した小惑星探査機「はやぶさ」が、多くの人に感動とロマンを与えたことも、記憶に新しいでしょう。はやぶさが、その使命を終えて宇宙の塵と消え逝く時、科学者たちの“はやぶさに、もう一度地球を見せてあげたい”との切なる祈りに応え、満身創痍の機体で撮ったラストショットがあります。この地球の画像を見ると、まるで、はやぶさに心があり、プロジェクトメンバーたちの心と交流していたようにも感じられないでしょうか。無機質な物質科学文明の中で、これからのあるべき機械と人間の関係のあり方を教えるものとして、はやぶさプロジェクトは、いつまでも人々の心に残り続けるのです。

この悠久の宇宙に私たちの心があるということを、美しく表現し、言葉や沈黙のもつ深い意味を伝える詩があります。日本の言葉は太古からの神秘の歴史を抱え、言霊として連綿と受け継がれてきました。それらの価値を生かすことも、精神看護と無関係ではありません。「息するものらは、心をもち、生きるものは、死ぬことを知った。一滴の涙から、ことばが育った。」というように、有限の生命が、悲哀の中で支えあって生きている事象を深く知ることは、ケアリングを支える大切な教養となるのではないでしょうか。

このような心をもった人間は、時に生きる意味を見失い、絶望の中でスピリチュアルペインといわれる魂の痛みを感じます。無限に変転する魂の存在は科学的に測量できず、現在のところ、精神看護学での学術的位置づけも明確ではありません。しかし、哲学的には古来より営々と存在していることから、その存在は自明であり、これを置き去りにした看護では、どこか限界があるのです。

看護は生活を支える営みですが、ケアを受ける人との相互作用を基盤とすることから、他者の心に働きかける自己の心のありようが大切となります。肉体は魂の乗り物であるといわれるように、人間の本体が魂ならば、自身の魂との対話は欠かせません。E・ブロッホは、まだ意識されないものを、どのくらい意識することができるかが人間の希望にとって最も重要で、そのためには潜在意識の奥深くにある「原故郷」を訪ねなければならないと述べています。新しい文明を見据え、原故郷を訪ねながら、時代に即した精神看護学を探求していきたいと思います。



©JAXA

2003年(平成15年)5月9日に打ち上げられたJAXAの小惑星探査機「はやぶさ」は、目標の小惑星「ITOKAWA」に到着し、2010年6月13日に
世界で初めて月以外から物質サンプルを持ち帰る”サンプル・リターン”に成功し、
地球へ帰還しました。



はじめに…



星があった。光があった。
空があり、深い闇があった。

終わりなきものがあった。
水、そして、岩があり、
見えないもの、大気があった。
雲の下に、緑の木があった。
樹の下に、息するものらがいた。
息するものらは、心をもち、
生きるものは、死ぬことを知った。
一滴の涙から、ことばがそだった。
こうして、われわれの物語がそだった。
土とともに。微生物とともに。
人間とは何だろうかという問いとともに。
沈黙があった。
宇宙のすみっこに。

長田弘 詩集「黙されたことば」より