麻酔について

麻酔とは、古来人類が待ち望んできた“痛みからの解放”という夢を実現する知識体系と技術です。

医学の歴史は“痛みからの解放”を願う祈祷やお祈りから始まりますから、麻酔は医の原点とも言えるでしょう。今後も、究極の痛みである死や、痛みを伴う病から遠ざかろうとする人類の試みと麻酔の発展は今後も並行することになるでしょう。

近代麻酔は1846年、米国ボストンにおける医師モートンによるエーテル麻酔、という事になっています。しかし、それより40年以上も早い1804年、和歌山県の華岡清洲が人類初の全身麻酔による乳癌摘出術に成功したことは、われわれ日本人が誇るべき偉業です(青洲が全身麻酔薬を開発する過程で妻を失明させてしまうエピソードで有名[華岡青洲の妻 1967年有吉佐和子著])。

本邦における現代麻酔は、第二次世界大戦後、東京大学麻酔学講座の創設者である山村秀夫教授らにより、米国から麻酔技術体系を本格的に導入したところから始まります。戦時中は「麻酔学という学問も確立されておらず, 局所麻酔が一番安全であると考えられていたが, 局所麻酔中に患者が痙攣を起して死亡した事故があっても局麻薬による中毒であることすら認識されなかった」(山村秀夫 日本臨床麻酔学会誌1986年)とありますので、当時の苦難を想像するに余りあるものがあります。

そして戦後から現在に至るまで、麻酔学は、解剖学や生理学、薬理学などの基礎医学的な素養を得ながら、めまぐるしく発展し続け、まさしく周術期(術前から術中・術後にいたる期間)における要(かなめ)となる知識体系と技術となりました。さらに、麻酔科医が手術室で培ってきた知識体系と技術は、救急、集中治療、ペインクリニック、緩和医療へと様々な医療分野に応用され、我々麻酔科医の守備範囲は拡がり続けています。

しかしやはり、麻酔は様々な医療科学分野へと発展しながらも、麻酔科医の核心となり続けているのは、手術室における豊富な麻酔経験であることは間違いありません。麻酔学(現在は“麻酔科学”と呼ぶことが多い)から継ぎ目なく様々な医療・科学分野、例えば基礎では生理学、薬理学、病理学、生化学等、臨床では救急科学、緩和疼痛科学、集中治療科学へと往き来しながら、麻酔の知識と経験を活用できることは麻酔科医の醍醐味であると考えます。
(香川大学医学部麻酔学講座 教授 荻野祐一 2023年09月)


教授挨拶

- 麻酔科医の well-being

令和5年8月より香川大学医学部麻酔学講座の4代目教授に就任いたしました荻野祐一(おぎの ゆういち)と申します。私は群馬から赴任しましたが、香川の擁する美しく静かな瀬戸内海、そこに浮かぶ島のように散在する里山、美味しい海産物に癒やされております。香川の街には活気があり、整然とした都市機能と豊かな自然のバランスは本当に素晴らしいです。そして香川最大の強みは芸術だと思っております。瀬戸内国際芸術祭に代表されるような芸術面でのアピールにより、世界中から来訪者を惹きつけています。現代人に必要な心の栄養とも言われる芸術を推進力とした、独特なポジショニングを得ている香川に、私は大きな可能性を感じております。

まず赴任して私が感じた当科の特徴に、医局組織の雰囲気の良さがあります。組織集団の雰囲気や文化というものは一朝一夕に作られるものではなく長年にわたり醸成され、そして組織を構成する個人にも影響を与えるものです。言い表すのは難しいのですが、ひとりひとり個人とお話したときの感じの良さが、ひとつの組織全体に通じる印象として感じられることがあります。個人そして組織からにじみ出てくる一貫した印象とは、組織の無形価値(ブランド)と言い表せるものかもしれませんーその無形価値をきっちりと継承し、願わくは発展させてゆく所存です。

また、当麻酔・ペインクリニック科の特徴のひとつとして、先代の白神豪太郎教授時代から取り組んでおられました患者さんへの手厚いケア、特に疼痛緩和に対する技術の高さが挙げられます。手術侵襲によってどうしても生じてしまう患者さんの痛みに対して、手術室から病棟あるいは集中治療部へと、継ぎ目なくケアが充実している現場を目の当たりにして、その技術力の高さに、私は大変に感銘を受けました。患者さんに寄り添ったケア、きめ細かい疼痛緩和を行い、患者さんに安全で快適な麻酔を提供していることが、当科の特徴、強みだと思います。

最後に、昨年の教授選考の際から、私は目標として、麻酔科医の魅力を内外に発信し、麻酔科医としての幸せを追求することを掲げておりました。人生を幸せに生きることを最近では well-being と言いますが、その well-being の実現にはコミュニケーションと相互理解、自律的な挑戦と自己実現が大切であるとの研究があります(定藤規弘先生[立命館大学先進研究アカデミー])。当麻酔学講座は、麻酔科医として様々な立場の人と良好にコミュニケーションを取りながら自己の挑戦を続け、香川から全国、世界へと情報発信を行い、幸福度の高い自己実現を達成するのに最適な環境と考えております。魅力ある香川とともに「麻酔科医の well-being」を是非とも達成してゆきたいと考えております。

【研究】
人間を対象としたマクロレベルでの脳画像解析(いわゆる“脳科学”)に取り組み、脳科学と麻酔科学が融合するテーマを模索してきました。脳における痛みの伝達と、痛みの感情、慢性痛の病態解明に取り組み、さらに神経科学、スポーツ生理学へと領域を拡張させながら、脳が本質的に持つ、学習や環境により形態と機能を柔軟に変化させる適応性(plasticity)の研究に取り組んでいます。

【受賞歴】

  • 平成18年 日本麻酔科学会 若手奨励賞
    「ヒト痛覚の体部位再現 - 脳磁図を用いて」
  • 平成25年 日本臨床麻酔科学会 小坂二度見記念賞
    「脱水状態と痛み感覚の脳機能画像に関する臨床研究」
  • 令和05年 日本麻酔科学会 山村記念賞
    「脳画像解析を用いた神経plasticity(可塑性・適応性)研究」


    【著書】
    痛みの心理学:感情として痛みを理解する(誠心書房)(編共著)

    【取材】
    季刊Be! 154号……特集/脳にとって「痛み」とは感情だった!
    発行 2024年3月 ISBN978-4 909116-42-0

    【座右の銘】
    不動心(たとえ天地がひっくり返ろうとも心は平然を保ち冷静でいること)
    「医師の不動心」としてボクシング専門誌に記事になりました。
    (Boxing Beat 2023年7月号 125ページ)



    講座のあゆみ

    香川大学医学部麻酔学講座の歴史

    • 1978年10月 - 香川医科大学開学
    • 1980年04月 - 第1回入学式
    • 1983年04月 - 初代 小栗顕二教授 麻酔・救急医学講座開設
    • 1983年10月 - 医学部附属病院開院 麻酔科の診療開始
    • 1987年04月 - 医学部附属病院に救急部設置
    • 1993年05月 - 医学部附属病院に集中治療部設置
    • 2000年03月 - 小栗教授退官
    • 2000年04月 - 二代目 麻酔学講座教授として前川信博教授赴任
    • 2001年11月 - 医学部附属病院に救命救急センター設置
    • 2003年10月 - 香川医科大学が香川大学と統合
    • 2004年04月 - 国立大学法人香川大学医学部に移行
    • 2006年01月 - 麻酔科から麻酔・ペインクリニック科へ改称
    • 2007年05月 - 前川教授 神戸大学へ転任
    • 2008年04月 - 麻酔学講座と救急災害医学講座へ再編
    • 2008年08月 - 三代目 麻酔学講座教授として白神豪太郎教授赴任
    • 2022年03月 - 白神教授退官
    • 2023年08月 - 四代目 麻酔学講座教授として荻野祐一教授赴任


    研究・部門

    当講座・各診療部門・研究テーマをそれぞれ紹介します。

    • 香川大学医学部・医学系講座 麻酔学
    • 香川大学医学部・医学系講座 麻酔学ページ
    • 香川大学医学部附属病院 集中治療部
    • 集中治療部(ICU)は南病棟3階に位置し、手術室と隣接しています.運営病床は6床で,集学的な管理が必要な術後患者および院内重症患者を受け入れ対象としています.人工呼吸器,補助循環装置,血液浄化装置などの医療機器を用いて治療します.集中治療専門医によるシニアレジデントへの教育を行う他,他科からのコンサルテーションに対応しています.

    • 香川大学医学部附属病院 ペインクリニック科
    • ペインクリニックは多彩な痛みの診断と治療に携わる部門です.現在では痛みに対応するためには,解剖学・生理学・薬理学・心理学・精神医学などの幅広いアプローチが必要であることがわかっています.残念ながら,従来の医学教育では問題を体系立って捉えることが十分にできません.当施設はペインクリニック学会認定施設として,各種神経ブロック手技の習得のみならず,症状の背景を解明し体系立てて治療計画を立案・実践することを主眼に据えた教育を行っています.また,痛みのプロフェッショナルとして,他科からのコンサルテーションに応じています.

    • 研究 侵襲反応機構の解析と制御
    • 侵襲時の生応答機構を解析し,その制御方法の開発を行い,手術患者の予後改善を目指しています.基礎研究として,臓器虚血再灌流障害(主に腎臓)の機序の解明と,治療法の開発を行っています.さらに低酸素応答や,組織酸素代謝の研究を行っています.臨床的研究では手術侵襲時の神経・内分泌・免疫系応答,それらの麻酔周術期管理方法による違いについて研究しています.

    • 研究 疼痛発症機構の解析と制御
    • 侵襲反応としての急性痛,慢性痛の緩和方法の開発や改良により,患者QOLの改善を目指しています.臨床研究では鎮痛方法の違いによる神経・内分泌系・免疫系・心血管・呼吸器系などへの影響,短期・長期予後への影響を検討しています.疼痛緩和サービスの臨床的検討を行っています.

    • 研究 新規モニタリング法の開発
    • 侵襲度や疼痛強度の指標となりうるモニタリング,麻酔薬・鎮痛薬投与時の生体反応モニタリングについて検討し,薬剤投与制御や侵襲反応制御のコントロールを目指しています.臨床研究として脳波解析,心拍・血圧変動解析の有用性について検討しています.

    • 研究 薬剤投与自動制御システムの開発
    • 薬剤投与自動制御システムの開発をしています.薬剤投与の薬物動力学的解析とモニタリングシステムとを組み合わせた,薬剤効果の数学的モデル構築を研究しています.

    • 研究 周術期患者管理システムの改良
    • 周術期のリスク減少,術後の回復促進・入院期間の短縮,患者QOLの改善や医療資源の効率的運用をめざし,周術期患者管理システムを構築しています.




    業績

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