皮膚を切開する位置へのこだわり
切開の部位について
漏斗胸の治療においては胸郭(あばら)の形をきれいに整えることが大切なことは、いうまでもありません。しかし香川大学形成外科では、「どの部分を切開するか」という点にも注意を払って手術を行っています。この点について説明します。
まず、図1のふたつの写真をご覧ください。ともに漏斗胸の手術をお受けになった患者さんの胸部の写真です。胸の形は双方とも修正されておりますが、皮膚を切開した位置が異なっています。左側は乳頭の付近に切開が加えられています(矢印)。この患者さんは他の病院で手術をお受けになった後に、私たちの施設(香川大学)へ、さらなる改善を求めて来院された患者さんです。
図1:切開を置く場所の相違
胸壁の形態を修正する以上は、どうしても皮膚を切開せざるを得ません。そして、どこに切開を置くかは、それぞれの病院で異なります。
香川大学では皮膚の切開は、なるべく外側(脇の方)においています。傷跡が外側にあった方が、正面から見えにくいだろうと配慮しているためです。
図1の右側の症例では脇の近くに切開が加えられていますが、この患者さんは香川大学で手術をお受けになりました。左の患者さんと比較してみると、「きずあと」の位置が外側に置かれているのがおわかりになると思います。手術の難易度は外側に切開を置くほど難しくなります。この理由を以下に説明します。
まず、ナス法の基本概念に戻ってみます。ナス法は米国の小児外科医により考案された方法で、今では大変に有名な方法になっています。このサイトをご覧になっている方々には、漏斗胸についていろいろお調べになっていることでしょうから、ナス法についてはすでにご周知ではないでしょうか。もしもご存じない場合にはナス法の原理をご覧ください。
ナス法の原理は図2のような図を用いて、いろいろな本やサイトで説明されています。この図だけ見ると、なんとなく判った気になるかもしれません。しかし、よく考えてみると不思議な気がしないでしょうか。
図2:よく使われている、ナス法の説明図
図3:一般的に認識されている「あばら」のイメージ
医学に直接関係のない一般の方々は、胸郭のイメージを図3のようにとらえているのではないかと思います。胸郭は「あばら」と一般に呼ばれますが、「あばら」は鳥かごのようにイメージされていることが多いようです。
図4:一般的なイメージで「あばら」をとらえると、
ナス法は理解できない
こうしたイメージで胸郭をとらえると、ナス法がなぜ成立するのか、不思議に思えませんか?図2のように、バーで凹んだ部分を押し上げるといっても、いったいそのバーはどこにひっかかるのでしょうか(図4)。
胸郭が図4のような構造をとっている場合、バーを胸郭に固定しようと思っても、バーは滑り落ちてしまいます(図5)。
図5:肋骨が平行な場合には、バーを胸郭に装着することはできない
ナス手術が成立するカギは、図6のように胸郭が一部で屈曲しているためです。いわゆる「あばら」は骨の部分(肋骨)と軟骨の部分(肋軟骨)から構成されています。両者の接合部は逆「へ」の字型に屈曲しています。この屈曲点が存在するからこそ、ナス手術が成立するのです。
図6:「屈曲点」が存在することが、ナス法が成立する本質である
図7:屈曲点の作用の3次元的表現
屈曲点の作用を立体的に表現してみると、図7のようになります。この屈曲点で矯正バーが支えられます。
ナス法においては、バーは胸郭の外から、いったん胸郭の内部(いわゆる胸腔内)に進められます(図8)。胸郭をバーが通過する点は「屈曲点」に置くべきなのは、上記で述べた理屈をよくお読みになっていただけるとよく理解できると思います。
図8:屈曲点で、バーは胸腔の内部に誘導される。
バーを胸腔内に誘導するのは「屈曲点」ですので、手術を行う側(つまり執刀医)の立場としては、この部分に皮膚切開をおくと、楽に手術が行えます(図9)。
図9:内側を切開すると、手術は簡単に
このため「屈曲点」の真上に切開をおくのを通常のやり方にしている病院もあります。そうしたやり方で手術を行うと、図1左のような位置に傷跡ができることになります。
ところが前述したように、形成外科医の視点から見ると、この位置はあまりいい位置とは思えません。第一に正面から傷跡が見えるので、目立ちます。第二に、引きつれが生じた場合には、周辺の皮膚を引っ張ってしまって乳頭を相対的に浮き上がらせます。これは男性の患者さんの場合には好ましくありません。あたかも小さな乳房が存在しているかのように見えてしまうからです。
ゆえに香川大学形成外科では図1右のように、なるべく外側で(脇の方で)皮膚の切開を行います。ところが、外側で切開をおくと、手術を行うのが少し大変になります(図10)。
図10:側胸部で皮膚切開をすると手術は難しくなる
図11:氷の下にいる魚を捕まえる
具体的な例を用いてこの理由を説明します。氷の下にいる魚を捕まえる場合を考えましょう(図11)。
図12:真上からアプローチすれば、
手術は簡単に行える
氷に穴をあけて、モリかなにかで魚をつくことにします。魚がいる位置の真上からアプローチするのがもっとも簡単なことはいうまでもありません(図12)。
図13:少し脇の部分に穴をあけてアプローチ
しかし、たとえばその部分に大切なものがあって、それを傷つけたくない場合には(実際には氷の上に花など咲いていませんが)、少し脇の部分に穴をあけてアプローチしなくてはいけません(図13)。どちらの方が大変なのかは、いうまでもないと思います。同じ理屈で、脇の方に切開をおいて手術を行うことは(図1右)、乳頭の付近に切開をおくよりも(図1左)大変であることがおわかりになっていただけると思います。
それでもなお私たちは、なるべく外側に皮膚切開をおいて手術を行います。漏斗胸の手術の主な目的は、胸郭の凹みによる心臓や肺の圧迫を解除することですが、外見上の美しさを求めることはそれと同じくらいに大切であると考えるからです。同じ手術を行うにしても、良い外観を目指すのが形成外科医です。
もちろん、すべての患者さんの手術において、脇の方の小さな傷だけで手術ができるわけではありません。凹みの強い患者さんや、片側だけが凹んでいる患者さんの治療を行う場合には、みぞおちの近くなどを切開しないと手術ができない場合もあります。もっともこうした場合でも、少しでも傷跡を残さないように、形成外科のテクニックをフルに活用して、ていねいに縫合を行います。